ヤクザ、神に立ち返る
〜主にあるアイデンティティ〜
<ヤクザ時代>
私は十八歳のとき、池袋に本拠地を持つK一家の杯をもらい、ヤクザとしてデビューしました。
礼儀作法、事務所当番、義理事、絆、合法・非合法のシノギを、身体で覚えました。
私のいた一家は、好戦的で、イケイケの抗争事件の多い組でしたから、拳銃を持って潜伏することもしばしばありました。
さいわいな事に、引き金を引くことはありませんでしたが、殺人の手助けをしていたことには変わりありません。
また二十五歳の時には、兄貴分に反発をして、東京の大塚・巣鴨を根城(ネジロ)とするT一家に、預かりとして身を寄せた事があります。
若い頃から、主な資金源は覚醒剤であり、キャリアと出世を積む毎に、扱う量も増えていきました。
そして私自身も、かなりの覚醒剤中毒で、罪の奴隷でした。
服役は三回を数え、合計七年半務めています。
二回目の秋田刑務所を出所した後、同じK一家の歌舞伎町の組に、養子縁組をして移籍しました。
クリスチャンも兄弟姉妹というように、ヤクザの世界も兄弟と呼び合います。
赤の他人が寄り添い、親となり、兄となり、子となり、弟となり家族を形成していきます。ヤクザ社会の精神的支柱にある
「義理と人情」
「弱きを助け強気をくじく任侠道」
「仁義」
は今なお私の心に息づいています。
その事を含め、私はヤクザだった過去を恥とは思っていません。
なぜなら、それが主にあって私のアイデンティティであり、誇りでもあり、主の栄光だと思っているからです。
六年前までは被告人席に立つ暴力団であった私が、今は礼拝に参加し、福音を伝える者となりました。
また、回心したヤクザのために法廷に情状証人として立ち、情状酌量を訴える立場になりました。
弁護士さんから、
「牧師さんの前科について、検事から突っ込まれるかもしれません」
と、懸念された時の私の答えは、
「望む所だ」
でした。私は法廷で証しできることを感謝しました。
私はヤクザ社会で生きてきて、育ててもらったことを感謝しています。
ですから、信仰を持って、ヤクザとの付き合いは辞めません。
彼らが救われて欲しいからです。
それに付随するように、刑務所伝道も始まりました。
ヤクザとの関わりを絶たなかったからです。
捕まってみると、ヤクザの友達も信仰を持つきっかけとなったりします。
それは私の経験からしても分かる事です。
<獄中での回心>
私は二十八歳で組長代行に出世をしましたが、覚醒剤に溺れ、組から逃げ出し、三度目の懲役は事実上、破門状態でありました。
組に復帰するには立場上恥ずかしい、そうかと言って、働いた事のない私が働けるのだろうかと、独居房で悩んでいました。
少しでも刑を軽くする為に、ある牧師に嘆願書を依頼しました。
その牧師とは鈴木啓之先生(ヤクザ歴一七年の後に回心し、現在は千葉県のシロアム・キリスト教会牧師)です。
以前、本当にヤクザを辞めた牧師がいるのか確かめてやろうと、鈴木先生に電話をかけた事があったのです。
なぜだか私はその時、
「ヤクザでつまずかないように祈ってください」
とお願いしていました。
このエピソードは講談社発行の「イレズミ牧師、どん底からの再出発法」という鈴木先生の本の、「須藤タケヤ」の仮名で紹介されています。
その事を覚えていてくれていた鈴木啓之牧師は、教会に行ったことのない私に快く嘆願書を書いてくれました。
そのお礼に、私は聖書を読み始めました。
旧約聖書で十分の一を捧げる物語を読んで、ヤクザから差し入れされるお金の十分の一を献金しました。
そしてエゼキエル書の三十三章一一節において、神の愛と神の存在を確信しました。
その御言葉は、
「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
かえって、その悪人が態度を悔い改めて、生きなおす事を私は喜ぶ。
立ち返れ、立ち返れ、お前の悪しき道から。
イスラエルよ、
進藤龍也よ、
お前はどうして死んで良いだろうか」
この御言葉で、神の愛を知り、初めて人生を悔い改めることが出来たのです。
神の愛を知って初めて悔い改めることが出来ると、私は確信しています。
このように、御言葉には人を変える力があるのです。
言葉には神の息吹が生きているからです。
神を信じて、霊の部分は清められました。
しかし、今もなお魂の部分である心の部分には、まだまだ不純物が沢山あります。
一生涯を通して、聖書によってその不純物を取り除いていく人生を歩んでいきます。
<出所、そして刑務所伝道へ>
しかし服役中に、ヤクザの掟とキリストの掟の板ばさみで、刑務所内で三度暴力事件を起こしています。
服役中、脱退届けを出しましたが、歌舞伎町の兄貴分であり組長の木本からは不受理されてしまいました。
ですからヤクザとして満期で務め上げました。刑務所の中では、やられたらやり返さなければ、私ばかりではなく、兄貴分や看板に泥を塗ることになるからです。
しかし信仰を持ったおかげで、刑務所生活の日常は神学校の予備校のように変えることが出来ました。
また、毎日ヤクザを辞めさせてくださいと祈る事が、日課となったのです。
そして出所して、神学校に行くと、宣言してヤクザを辞めることが出来ました。
祈りを積む事を覚えました。そして信仰生活の中で、イエス様に与えられた命とセットで、使命を与えられました。
それはヤクザ伝道であり、ジャンキー伝道であり、刑務所伝道です。
使命は命を使うと書きます。
ヤクザの世界で一五年の間命があった事も、今は奇跡のように思います。
一度ヤクザの世界で捨てた命です。それがキリストの為に死ねる者となれた喜びは、使命を果たすこと以外にありません。
「私にとって生くるはキリスト、死ぬもまた益なり」これが私の座右の御言葉になりました。
自分に死んで、キリストの復活の命に生きるとは、なんと素晴らしい事か。
まじめに生きるとは、なんと窮屈な事であるかと思っていましたが、神からもらった愛から出てくる自発的な行動は、自然にキリストの律法を全うできるようになることだと、実感しています。
また、信仰の実を実らせる為には、土地を耕し、種を蒔き、水を与えて、苦労を重ね祈らなければならないことを念頭において、教会の開拓をしています。
「わたしは正しい人ではなく、罪人(つみびと)を招くためにきた」
この言葉を実践する教会として、同労者も与えられています。
生まれ育った埼玉県川口市で開拓しているのも、良い証しになっていると思います。
以前、杯をもらった池袋の組長に、
「せっかく養子として快く送り出してくれたのに、ヤクザをやめてしまって、申し訳ない」
と謝りました。すると組長は、
「おまえが堅気になったのは俺はうれしい。なぜなら、お前はもう殺す事も、殺される事もなくなったからだ。イレズミを入れている牧師もいるんだからお前もがんばれ」
と励まされました。
組長の許しと励ましには感謝しましたが、本当の平安と再生の人生は神様の赦しの中にあればこそだと実感しました。
こうして私は永遠にキリストと生きる者になりました。
まだまだ駆け出しの若輩者ではありますが、今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
この文章は、「レムナント」誌2006年12月号に掲載された、進藤牧師自らの救いの証であります。
以前、管理人自身のブログで紹介させていただきましたが、本人の強い希望もあり、当HPでも掲載させていただく事になりました。